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2022.11.10お知らせ

令和4年富山商船高専12期同窓会

某月某日夜自宅、同級生の早坂君からの電話が鳴る。出てみると受話器の向こうが騒がしい。恒例の居酒屋からである笑。曰く「今年還暦にもなるし12期生の同窓会をやる。エンジンの方を頼む!」、実は大きな同期会は10年前に一度開催し、その際に機関学科の纏め役を仰せつかったのだが、他の幹事は資質を期待されてのものであるのに対して筆者の場合、今回も推薦理由は単に暇を持て余しているというのが真相のため少々残念ではあるが、これに関しては反論材料も全くなく、航海学科は松田君、早野君の昔から頼りになるお二人が務められる上に力強い菅沼君のサポートもあるということなので、力が及ばないことを自覚しつつも一緒に幹事として名を連ねさせてもらった。

11月5日秋富山、日頃の行いが悪い面々が数多くいるはずなのにお天道様のご機嫌が麗しかったようで快晴に恵まれ懐かしい顔が揃った。中には卒業以来の者もいる。しかし、我々は邂逅を懐かしむことなどしない。顔を合わせたときの第一声は、人の容姿を揶揄することなどご法度のご時世、ここぞとばかりにお互いの変わり果てた?姿を茶化し合う。瞬時にして当時の距離感に戻る。人生において重要と断言してもいい15歳からの5年と半年の時間は、ただ教室で机を並べただけではない。多くの辛い時間も一緒に過ごしてきた。そんな我々の間には時空の隔たりなどないのだ。この後が楽しくなることを確信する。

今回は宴会で昔話に花を咲かせるだけではなく思い出に残るようにと様々な行事が企画された。全員参加のボウリング大会でスタートし、場所を宿に移してからは、涙あり、笑いあり、そしてとっておきのサプライズありの趣向を凝らした宴会で初日の長くも短い夜を過ごし、観光バスにて翌日は卒業研究、クラブ活動でご指導いただいた恩師である故稲垣先生のお墓参りに始まり、諸般の事情により中に入れずフェンス越しの母校見学は残念ではあったが、遊覧船による富山新港周遊の後の海王丸の見学は、実際に母船として乗船した人たちにとっては感慨深いものがあったはず。その後氷見にて昼食を取り再会を約束して解散、無事に会を終えることが出来た。

正にあっという間の二日間であった。時間の経過を早く感じるのは、それだけ充実した時間を過ごせた証しであろう。開催してよかったと心の底から思う。

利害、忖度、気遣い(日本の文化でもあるが)そのようなものが一切介在しない間柄などそうそうあるものではない。そんな仲間が持ててつくづく幸運だと実感する。筆者に限っていえば、これまで何度も道を踏み外してきた。でもどうやら選んだ学校は正しかったようだ。

コンプライアンス、ハラスメントなど耳触りの悪い言葉を聞かずに育った我々には息苦しい世の中になった。視線を世界に向けると至るところに不穏な空気が重く漂っている。年齢もあって皆には日頃溜まりに溜まったストレスがきっとあるに違いない。それがほんの少しでも解消することができて今後の生活の栄養剤の代わりになったのであれば、それだけでも十分に価値のある今回の同窓会になったのではないか。

この還暦を機に生活のペースを落とす者がいると聞いた。間違ってなんかいない、これも正解だ。世が世なら隠居の歳である。一方ではまだまだ現役で社会貢献する者も多くいる。それぞれの生活がこの後待っている。このような集まりはあと何回できるのだろう?どのようにこれからの人生の舵を切っていこうとも全員が健康で少しでも多く顔を合わす機会を設けることができればと切に願う。

今回都合により不参加となった者、そして残念なことに先に鬼籍に入ってしまった者もいる。そうした彼らがうらやむような集まりとなり至福のひと時を過ごすことができた。これは遠路遥々ご足労いただいた航海学科担任の井上欣三先生、そして幹事として至らぬところを補ってくれた参加したすべての同級生のご協力があったからこそである。拙文の後になったことをご海容いただいた上で最後に心一杯の謝意を表し、ここで筆を擱かせていただくことにする。

ありがとうございました。いつまでもお元気で。

 

幹事を代表して

岡崎賀津雄

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